
しかし仕事に恵まれず郵便局員として生計を立てていたところを、
チャーリー・パーカー(as)に励まされジャズ界に復帰する。
52年にマックス・ローチ(dr)と共にレコード会社デビューを設立し、
パーカー、ディジー・ガレスピー(tp)、バド・パウエル(pf)、ローチ
というオールスターメンバーによるマッセイホールでのライブ盤を
発売したが、成功には到らなかった。
しかし56年、アトランティックより発表した「直立猿人」が
大ヒットし、一躍注目を集める。
こうしてミンガスの快進撃が始まったのでした。
〈引用…JAZZBASS2008 ジャズベース偉人伝より〉